1分間だけ走らせて
4月から3ヶ月間、消防団の操法大会へ向けて40回を越える訓練を受けてきました。消防操法は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば
設置された防火水槽から、給水し、火災現場を意識した火点(かてん)と呼ばれる的にめがけて放水し、撤収するまでの一連の手順。防火水槽・火点の位置、台詞、動きがあらかじめ決められている。全国規模で大会が行われ、ポンプ・ホースなどの操作を速く正確に行うとともに、動きの綺麗さを競う。
だそうで、団歴の浅い僕の印象なりに一般のかたにわかるよう例えると、「ある一部分だけタイムを競う、シンクロ規定演技」。実際の火災現場を想定してるものの規律訓練の一つなので、基本姿勢(気をつけの姿勢)や休めの姿勢がちゃんとできてるか、などが大事なのです。
ところが市ごとの消防団によって操法にむけての段取りや意気込みが全く違います。ある市は1年前に地方予選を行い、勝ったチームがさらに1年かけて訓練をし、府の予選に出ます。またある市は2年かけて分団ごとに訓練し、地方予選を直前に行います。
宇治は5つの分団で仲良く持ち回りをしますので地方予選などありませんでした。また分団によっても違い、さらに下の支部によっても多少の違いがあるので、操法大会を勝ちに行くのか、または操法に打ち込むことで団員同士の交流を深めるのか、スタンスの違いなども出てきます。10年に一度しかまわってこないせいか、いろんな大人の事情が絡みあいました。
僕は今までずっと体育会系からかけ離れてる文化圏にいたので、体を動かす際の本当のストレッチの仕方から教わるくらいでした。とはいえ最近はフットサルなんかもしていてある程度は走れますし、ストレッチも理論的に教えてもらったので、訓練当初はカラダのケアは上手にできてました。
ところが、普通なら体を休める時期であろう大会一週間前でも、僕はまだ全力疾走を続けてました。大人の事情があって、走り続ける理由がいくつかあったんです。
さらに同じポジションの控えの選手のかたが少し前に足を捻挫してしまっていて、一番長く距離を走るポジションを僕一人でこなす必要がありました。
大会直前の金土日月火とそれを続け、もつれにもつれた正選手の発表は大会3日前の木曜日。4つの支部から選手候補が出てるものの正選手をウチの支部だけで占めるという歴史的快挙を成し遂げましたが、当然のように僕の太ももは悲鳴をあげ、僕は普通に歩くことすらできないくらいになりました。
「テーピング貸してあげるよ。巻き方も教えてあげる。」
ウチの支部の先輩の一人は、夜中にもかかわらず親切丁寧にコーチしてくれました。
「機械貸したるわ。電磁波でバッチリや。」
元陸上部で今でも現役バリバリのウチのリーダーは、そういって大きな箱を出してきてくれました。
「知り合いに整体師さんがいるから。そこにいって針打ってもらおう。」
同じ支部でチームメイトの先輩はそう言って、走り回って予約してくれました。
日曜日の本番を前に金曜の夕方、最後の訓練の直前に診察を受けました。整体師さんは僕の足を念入りに調べ、
「疲労がたまり過ぎて筋肉が腫れてるよ。ここはもうペッタンコ。力入らないでしょう。できれば今日の訓練は走って欲しくないカラダですねえ。で、正直、日曜に100%に戻ることも厳しいです。」
とコメントしてくれました。
でもここで動けないと今までの3ヶ月間の意味がなくなってしまいます。僕だけでなく、今までサポートしてくれた先輩方の分も背負っての操法なんです。最後の訓練も走っておいて本番にむけたいですが、あくまでも照準は日曜日。もう、本番の1分間だけ走ることができればいいんです。
これからのスケジュールとあわせて治療方針を決め、生まれて初めての針治療。
「うふふ。お客さん初めて? そんなに緊張しなくていいのよ。そう、もっと力を抜いて・・・。」
えい。ぷすり。
「ぎゃーっ!」
って写真はフィクションです。実際の針治療は痛くありません。みごとに血流が回復していきます。診療所にあるものすべてを受けるフルコースで治療してもらいました。
土曜日の午前中にも針込みのフルコース。針が初めてだった金曜日よりも少し深めに打たれました。そして、本番。
「日曜日はこの夏一番の暑さになります。できれば外出は控えてくださいね♪」
天気予報がそう呼びかけたドピーカンの日の真昼間。
僕たちは完璧でした。今までの訓練の成果がそのまま出ました。訓練の時間や場所の融通が利く北部勢には到底太刀打ちできませんでしたが、それでもほかの団からほめられるほどの操法を披露できました。
僕の足は、木曜日に比べると信じられないくらいスムーズに動いてくれました。整体師さんは、日曜日に1分だけ走らせて欲しいという約束を守ってくれました。
手元には出場した者にだけ与えられる勲章が残りました。でもこんなの貰えるの、すっかり忘れてました。これよりももっと大きなものをこの3ヶ月で得ることができました。
僕と年が一回り以上ちがう大先輩とも今では平気に話すことができてます。団歴1年と少しのペーペーの僕でも、皆が抱きしめて祝ってくれました。消防署長や署員の皆さんとも気軽な仲に。ほかの分団や団のエライさんたちとも対等に話してました。
ウチの支部の先輩たちは文句一つ言わず訓練のサポートにまわってくれ、訓練後は僕たちの愚痴を聞くだけでなく、一緒になって怒ったり泣いてくれました。大人の事情に挟まれ、正直心が折れたこともありましたが、チームメイトは常に励ましあい、勉強しあい、おそらく家族より長い時間顔をあわせてました。
不器用を絵に描いたような24歳のウチの若い団員は、最初の選考で正選手から漏れたにもかかわらず努力を続け、一つ一つ課題をクリアし、大人の事情までひっくり返し、土壇場で正選手の座を勝ち取りました。
「お前はホンマによう頑張った。努力したら報われるっちゅうのを、オレは初めて目の当たりにしたかもしれん。胸張っていいぞ。この件を誇りにもって生きろ。」
いつも冗談ばかり言って彼をいじくる先輩が、真顔で褒めました。
ずっと僕たちを叱咤激励し、引っ張ってきてくれたウチのリーダーは、打ち上げの場に来たときに見たことのない腑抜けた顔になってました。すべての肩の荷が下りたのでしょう。もう、ただの風呂上りのお父さん。
僕も、この3ヶ月は仕事を圧縮するために休憩時間をほとんど削り、昼休みにこっそり15分爆睡し、朝以上の早さで夕飯をかきこんだ日々でした。終わってみれば寂しささえ感じてしまうほどですが、本当に素晴らしい体験ができたと感謝してます。
正選手が決まったとき、そして終わった日のビールはこれ以上ないくらい美味いものでした。
協力してくれた皆さん、サポートしてくれた皆さんに感謝したいと思います。ありがとうございました!
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公開: | バスとすごさない日々 消防団
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『 しょうぼうだん 』 てこんなに大変だったんですね(ーー;)・・。
なんか僕もその男くさい汗をかいてみたくなりました。
masahiro兄貴・・ やっぱり兄貴は兄貴やでっ!
一生懸命に打ち込むって良いですね。読ませてもらってると感動が伝わってきますよ。
> だいちゃん
いやあ、大変なのはこの3ヶ月だけですよ。
10年前はここまで熱くなかったそうです。
今、燃え尽き症候群を体験中です。
予想通りです。
> テラサキさん
いやほんと、おかげさまで楽しい3ヶ月でした。
終わってみればいいものです。